玄関チャイムに出てみると、おっとりした口調の男女がたっていた。
素敵な集会が月末に開催されるからそのパンフレットを持参したという。
「どんな集会ですか?」と訊くと、「イエスキリストの・・・・」といい始めた。

インターフォンごしなら、そのまま断るのだが、今は顔を合わせてしまっている。
たまたま玄関の左側にバラの茎が植えられていて、右側には小さな砂利が敷かれている野を見たとき、。
種蒔きの喩えを思い出した。

イエスが説教をするときになんどか話した喩え話。
ブリューゲル展の展示されている絵に「種まく人」が描かれていて調べたばかり。

種を蒔くとき、道端に落ちた種は人に踏みつけられ、飛んできた鳥に食べられてしまう。石ころの土地に落ちた種は、根がはれず枯れてしまう。茨の中に落ちた種は、実を取り出すことができない。畑に蒔いた種だけが数十倍に実る。というお話。

種を蒔くのはイエスで種は説教のこと。道端はすぐにサタンが来て誘惑に負け、石ころは根がないからすぐに忘れてしまう。茨は言葉を聴いてもふさがれてその言葉を取り出すことが出来ない。

この話は、教え方の下手な教師が、覚えの悪い生徒に対して言う言葉だと、ひそかに思っていたのだが、とにかくその話を思い出した。
石

「この脇のところは砂利です。ここに種を蒔いても実りません。この左にはバラがあり、ここに種を蒔いても取り出せません。表の道路はよく鳥が飛んできます。」

そう言ってみた。

「?何のことでしょう」

「種を蒔く人の喩えというのが、そのまま当てはまると・・・」

「まぁ、聖書にお詳しいんですね、是非集会に・・・」

余計なことを言わなきゃ良かったと思っても後の祭り(今日はひな祭り)。

きっと私の周りには悪魔がいるに違いない。

四苦八苦しながら丁重にお断りさせていただいた。
そういえば四苦八苦は仏教用語。四苦36と八苦72を足して108の煩悩が
俺の頭に住んでいるかも。